保護と自由

保護と自由は背中合わせのものなのだなと思う。


日本で自由でない事の多くは、その理由が保護のためのものだ。
自由を欲する事は、保護されているという利点を放棄する事なのだとは、中々気付きにくい。
保護からの脱却としての自由は、真の自由としてはその保護者からの保護契約を破棄する事で、
つまり、保護されていた身分としては「この点については保護してもらうが、この点については
私の自由だ」という主張は、筋が通らない。
保護者との契約内容の交渉は可能だけれど、最終決定権は保護者が持っている。
条件が嫌なら、全ての保護を捨てるというのが、本来のやり方だろう。


…といった事を、親子関係や、学校との関係や、雇用関係や、国と人、国と会社の関係から
考えてみている。小泉改革で色々なものが自由化された事、学校の校則、親に子供は従わなければ
ならないか、等。


「自由」というと何だか響きが良いし、格好いい様な、何か全ての意味で素晴らしいもの様に聞こえる。
しかしその「自由」が意味するのは、安全装置のない銃であったり、柵のない見晴台であったりするのかもしれない。