「暗いと不平を言うよりも

すすんであかりをつけましょう」
最近、この言葉を思い出します。


不況やら円高やらで、内定取り消しやら派遣社員切りやらで、政治が悪い会社が悪い社会が悪いといった
話に持っていきがちですが、不平不満ばかりで誰かが助けてくれるのが当然とでも言うように
ただ待ってるっていう発想ばかりが先行しているようで、それも何だかどういうもんかねと思ったりします。


社会を良くする行動というのは、他人のために労力を払うという事で、考え方としては自分の利益に直結しない行動です。
いや結果的には返ってくるものも大きいですが、当人の初期段階の意志としてはまず「他人のために」という発想が
必要になるわけです。ただ放っておいて社会の方で勝手に良くなってくださいという願いは、つまり誰かが
犠牲を払って私に利益が回ってくるようにして下さいという願いであって、まあ、図々しいとしか言いようが無いわけです。


契約を打ち切られて路頭に迷う人間は確かに哀れではあり、雇用支援等で救出するべきだとは思うのですが、
本当は、本当の事を言えば、彼らは自分で何とかしなければならないのです。ハードルが高いのは確かですが、
生き物のルールとしては、彼ら自身の努力によって勝利が勝ち取られなくてはならないのです。他の誰かが助けるのではなく。


まあ、そういう考え方もあるという程度の話ですが。


最近、最近っつうか前からなのかも知れないけど、「○○が悪いせいで」みたいな発想が横行しすぎている気がします。
自分の運命は自分で切り拓くのは当然の事、いやむしろ他人の運命も切り拓く手伝いをしてやるのも普通の事。
ぐらいの気持ちを皆が持っているべきではないかと思うわけです。いや、それぐらいでないと、人間全員に分配されるだけの
幸せは生み出されないと思うわけです。今の社会には、幸せと善意がとても足りない。幸せは自分が生み出し、
他人に配るのだという人間が大量にいないと、十分量が確保できない。
現状は幸せを他人に与えず、貪り欲しがる人間が比較的多いと見えます。


いや自分の事棚に上げて言ってるんですが、それはそれとして訴えたい事ってのがあるわけで。