豊かさ的な事

江戸城姫路城等の規模を考えると、当時でもなかなか高度な建築技術があったのだなあと思います。
技術のルーツは大陸から渡ってきたものではないかと思いますが、その後の発展の多くは
国内で研究・改良されたものなのではと思います。


当時は「鎖国」という政策がとられていたと聞きます。
現代人にとってはちょっとどうかと思われる政策ですが、今の日本のあり方と比較して考えてみると、
それはそれで健全な形であるのかもしれないと思いました。


鎖国が成立するのは、自給自足ができているということです。良くも悪くも、今の日本では
この状態があり得ません。自給率は極めて低く、技術を売る事で対価を得て、生活必需品または
その原材料を購入しているわけです。スマートとも言えますが、歪んでいるとも言えます。


昔の農民の暮らしが苦しいものだったとはよく聞く話ですが、噂程度の理解ですし、
どの程度苦しかったのか、正直判りません。100年も経てば生活も色々変わるでしょうし、
近現代以降は農民が苦しい生活を強いられていたという話はあまり聞きません。
支配者の不当な搾取が無ければ、農民ばかりが割を食うという事も無かったのではないかと思います。


開国がなければどうなっていただろう、と思うのです。
西欧からの侵略が無く、帝国主義に巻き込まれなければ、日本はどうなっていたのだろう。
科学技術等は発達しなかったでしょうが、それで別に何か困るだろうかと。
近代兵器で侵略を受ければ負けるでしょうが、それは侵略する側が外道であって―だからこそ日本は
西欧に文化を学ぶ道しか無かったわけで。
病気も天災も、技術の発展である程度回避できるようにはなるわけですが、しかしもともと
避けられないものであるとするならば、それはそれで勘定に入れてしまうという考え方もあります。
事故死や病死のリスクは、技術の発達した今の日本でも当分ゼロになる見込みは無いわけです。


もしも論とか、後ろ向きな議論にはあまり意味が無いかも知れませんが、江戸と平成を比較して、
欠けているもの、必要なものを比較する事で、現代にあって必要そうに見えて実際は無駄なもの、
本当にあるべきもの、現代人の愚かしい部分などが、少し浮き出て見えてくるような気がしたのです。