自分の価値

たとえば、月給20万の人と30万の人がいるとして、どっちが偉いかっていう話なわけですよ。
ある意味では30万の人の方が偉くて、ある意味では特にそんな事はないという事になるわけです。
なぜ30万の人が偉いのかと言えば、高い月給を貰ってるだけ高度な仕事をしてるんじゃないかと
想像されるという事で、なぜそうでないのかと言えば、その30万は碌でもない仕事で稼いでるかも
しれないじゃないかもっと本質を見ないとって話なわけです。


本質を見るってのはある意味では職業に貴賎無しという事で、俺は俺の仕事をやるいくら貰えるとか
関係ない俺の仕事は立派なんだ俺がやらないと困る人がいるんだよ、そういった意識のもので。
そうでない考え方というのが給料で職業の貴賎を計るという事で、俺は30万だから20万の奴より
偉いんだというような意識のもので。
私は、この後者の発想には問題…というか罠が潜んでいると思うわけです。


給料というのは、普通は自分で決められないものです。まあ交渉の余地がある場合もありますが、
基本的には他者の評価で決まるものなわけです。つまり、給料の高低で人間の価値が決まるという
観念に強くとらわれている人間というのは、自分の仕事の評価を完全に他人に委ねてしまっている
人間なわけです。これは、精神的に不安定なんです。自分の価値を認めるために、他人を通して
それを認識する必要があり、自立性に欠けていると思います。
大多数の人間は、多かれ少なかれそういう傾向は持っていると思います。多分それは直した方が
良いのではないかと私は思うのです。自分の価値は誰かに押し付けられるものではない、自分で
判断するのだと。


まあそれは心構えの話であって、現実は現実として、他人とは協調しつつ行動する必要はもちろん
あるわけですが。