だから選挙に行くのは嫌なんだ

衆院選前のテレビの報道を見ると「政策を見て投票先を慎重に判断すべし」等と言われている。
でも、国民が純粋に政策を重視して投票先を判断しているのであれば、民主党自民党の間に
これほどの票数逆転が起こるはずもないし、小政党に票が集まらない理屈も通らない。
事実として、国民の投票動機のうち「政策」が比較的軽い要素である事は明白だと思う。
私は各党のマニフェストを一応流し読みしながらも「こんなもん真面目に読んでも意味ないよな」
と心の底でぼんやり思っていた。


数年前の民主党は、非常に脇が甘い印象があった。堀江メール問題等が解りやすい例だと思うけれど、
与党への批判がまんま自分に返ってきて自滅等という行為を繰り返していたため、私の民主党に対する信頼は
著しく低下していた。今でもそれを引きずっている。
しかし最近はそういったあからさまな失態は少なくなった。批判を受けても、最小限の被害でかわす技術を
身につけている印象がある。小沢さんが党代表になった辺りからだろうか。
党の本質が何か変わったのではなく、世渡りがうまくなっただけなのかと思う。結局私は、そのような
曖昧な印象で善玉悪玉を判断している。私の見る目など全く当てにならない。
選挙戦術等という物が存在し、現実それが有効に機能してしまっているのであれば、選挙結果など
あらゆる歪みを加えられ、理想からかけ離れた物になるであろう事は想像に難くない。


ぶっちゃけてしまうと、衆院選ではみんなの党に入れた。民主・自民には入れたくない理由があった。
みんなの党には入れたい理由があった。


民主主義を謳う以上、選挙に相当する制度は必要だけれど、実際の選挙は虚無感ばかりが残る。
私を不愉快にさせるのは、投票に分不相応な価値を語る人々である。彼らは投票に行かない人を
罵倒しさえする。まるで非国民とも言わんばかりに。今後政治に口を挟む権利は一切無いとまで言う。
投票は国民の義務であるという。ある人は憲法の一節「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」を引用し、それを説明した。
…ちょっと笑ってしまう。年1程度の投票行動が「不断の努力」に当たるのだろうか。まあ当たらないとまで
言うのは言い過ぎか。しかし、自分の無理解な一票が政治を混乱させる事を恐れたりはしないのだろうか。
関心のある人が行けばいい。関心のない人は行かない方が良いのだ。と私は思うのだが。


いかなる思想であっても、自ら立候補する人間に私は敬意をもつ。それは「努力」と呼ぶに相応しいと思う。
彼らに棄権を非難されるのであれば、私は素直に謝るかもしれない。
しかし、ちょっと投票しているだけの人に、ああだこうだ言われたくはないのである。
その行動が、どんな実績を上げてきたというのか。全て人任せにし、その責任と批判が自分に向けられないと
思っているのは一体どういう了見なのか。
責任が無いと思っているのは、自分の行動によって問題が引き起こされた訳ではないと思っているからだ。
それはつまり、投票なんてその程度の価値しかないという事で、行こうが行くまいが大した問題ではないという事だ。


民主党は、選挙前の私の予想よりも積極的な動きを見せているようだ。
私は政治に携わる人々をやはり理解できていないことを実感している。