何故弱いものは守られなければならないか

生き物が目的とする事の一つは、生き延びる事である。人もまた例外ではない。
理性を以て命を絶つ人間もいるが、どちらかというとそれは特殊な例であり、
多くの人は生きる事を望む。


生き延びるという事は、ただ単に個として生き延びる事が望まれるだけでなく、
人類として、人という種として、総体として、生き延びる事が望まれてもいる。
少々不思議ではあるが、この事はごく自然に受け入れられている。自己犠牲という発想は
貴いものとされ、自己と他者の命を秤にかけ、命を託すという判断が現実に有りうる。
それが本能に従って為される事なのか、抗って為される事なのかは分からないが、
総体として生き延びようとする意志が人間にある事を私は認識している。


種として生き延びたいのであれば、個体は多い方がいい。
野性のままに強い者が優遇される世界よりも、弱い者も生きられる世界がいい。
何も対策を打たなければ、弱者は自然と滅びてしまう。
その対策とは何かと言えば、力のある者が譲歩し、力のない者を守り、特権の一部を
譲り渡す事である。
大きな視点に立つならば、自分の力で得た利益を独占するのではなく、適切に他の者に
分配してやる、それが、強い者に人として求められる規範なのである。


と、私は考える。


私と同じように考える支配者は、少なからず存在するだろうと思う。
私と同じように考えない支配者も、少なからず存在するだろうと思う。私は、そのような人間はきっと頭が悪いのだろうと思っている。
あるいはそれは、個としての本能と総体としての本能とどちらが勝るかという話なのかもしれない。
この中間の判断、身内の人間の命は守るが、そうでない人間は守らない、そのようなものもある。


私はやはり、他人をも守るという人のあり方に、正しさを感じる。(状況にもよるけれど)
もし、権力を持つ者がそのように考えていないとすれば、世界は酷く住み辛いものとなるだろう。


(まだ思っている事を出し切れていないのだけれど、まとまらないので後で書けたら書く)