何故弱いものは守られなければならないか(2)

スーパーで買い物をしている時「この店舗の商品総額はいくらになるのだろう」と考えた事がある。
適当だけれど、一千万円〜一億円といったあたりではないかと思った。つまり、それだけの金があれば、
その店舗の商品を全て買い占める事が可能だという事である。
そこで、ちょっとした疑問に駆られた。
実際にそのような買い占めを行う事は、道義的に許されるのであろうか、と。
経済的には、相応の値段で商品を買い取る事は何ら問題のない行為であろうと思うのだが、
実際にそれを行ってしまうと、その地域に住んでいる住民は大いに迷惑する事となる。


堀江貴文氏がニッポン放送の乗っ取りに動いていた時、私はその行動を全面的に肯定していた。
彼の行為に反発する者は例えば「モラル云々」のような訳の分からない主張を行っていた。
市場荒らしのようなマネは許されない。見境のない市場論理でニッポン放送社が長年掛けて
積み上げてきた価値を不当に略奪するものである、と。
私は、そのような論を述べるおっさん達を見て、何を馬鹿な事を、と思っていた。


しかし、株の買い占めを、スーパーの商品の買い占めに相似して考えてみればどうか。
金があるからといって、金で買う権利が認められているからと言って、何をしてもよいのか。


強い力を持つ者は、その力が発する影響力を十分理解した上で、その力を行使しなければならない。


堀江貴文氏はその後、逮捕された。
東京地検特捜部の当時の動きは不自然なものと私は感じていて、何らかの権力者の意図か、
少なくとも特捜部の公平性を欠く判断が働いていたと私は思っているが、しかし。
彼もまた、力によって殺された(死んでないけど)のである。これは彼が強い力に頼って
大きな会社を手に入れようとした事と、同じ構図であるのかも知れない。