年収の広告

最近Web上で「私の年収、低すぎ・・・!?」みたいな、年収を前面に押し出して人の気を引こうとする
広告をよく見かけるのだけれど、ああいう釣り広告は、全く信用するべきでないと思う。


クリックしたら負けだと思うのであの広告の先にどんな内容が書かれているのか分らないけれど、
あなたの適正年収はああだとか、Aさんはこのキャリアでこんだけ貰ってるとか、そういう事が
書いてあるんじゃないかと思う。
その数値が魅力的な程度に高いのだとしたら、まあこの広告に書いてあるのは嘘だなと、
そういう先入観を持って読むぐらいで丁度いいだろうと、私は何となく推測する。


理屈で言えば、楽に儲かる仕事が大々的に宣伝されていれば定員はすぐに埋まり、平準化される。
そんな都合のいい情報が無料でバラ撒かれている訳もない。報酬のいい仕事は、当然高度なスキルや
過酷な条件を求められるわけで、年収ありきで考えるのは邪道だと思う。
ただ、そういう理屈よりも私が受け入れがたいのは、表現方法に品位が欠けているという所だ。
品位が欠けた広告は、品位が欠けた人間や会社が作っているに違いない。そのような集団に
人生の大切な選択を委ねる価値があるのだろうかと、まず疑問に思ってしまう。


加えて言いたいのは、年収ってそんなに大事か、という事で。
大事だ。大事は大事だ、大事だけど。どう大事なのか。
私はどうも根本的に贅沢指向ではないようなので、贅沢な暮らしがしたくて金が欲しい人とは
考え方が相容れないかもしれないけれど。
必要なのは、諸経費を込めた日々の生活費(贅沢のレベルによって増減する)だろう。
次のオプションとして、人生の事故を想定した保険の意味での蓄え。
その次に、将来の独立や副業などを想定している場合は、そのための資金。
主にそんなところだと思う。3つ目は必須の物では無いし、2つ目は本当は公的あるいは民営の
サービスによる補助に期待したい。しかし現状十分なサービスが行き渡っている状況ではないので
この面での蓄えを考慮に入れないわけにはいかないという事で。


そういった事を鑑みて、自分に必要な、あるいは分相応な年収はどれだけか考え、現状では不十分と
なった場合に、多少無理を加えて年収の高い仕事を探すのが本来の道だと思う。
それなのに、どうも年収の多さをスコアアタックみたいに考える風潮があって、確かに多くて
困る事はあまりないと思うけれど、そういう事で騒ぐ人は自分に本当に必要なものが見えているのか、
疑問に思えて仕方がない。
金は重要だけど、キャリアは金で買えないし、楽しい仕事も金では買えないし、娯楽は金が要るものも
要らないものもある、睡眠時間も、健康も、人心も(直接は)買う事はできない。
そういう本質的に重要なものに比べて、年収はどの程度重要であるか、なんて事を考えると。


人の心を煽って惑わせる、あの手の広告や「年収」という響きに、若干のイラつきを感じてしまったりする。