「プロ」

ダラダラと。


スラッシュドット
一流企業の幹部社員曰く「プロとは有能でいつでもつかまる人だ」 | スラド
のストーリーで、こんなコメントがあった。

どっかの誰かが1位じゃないといけないのか?
なんて言ってたが、「1位以外に価値なし」って考えて行動するのが
ビジネスにおけるプロでないかな?


とりあえず、「1位じゃないといけないのか?」言った人の事はもういい加減許してやろうよというか、
文脈ぶった切ってインパクトのある部分だけ引用するマスメディア的悪手法はあまり宜しくないと
思うし、何気ない一言一句を後々まで引っ張られてしまう政治家って仕事はやっぱ大変だなと
いうか、そういう混ぜっ返し方をするから政治家が必要以上に発言に慎重になったり
印象操作に走ったり、あんま良くない影響が発生している気がしたりする。


それは置いといて。
「1位以外に価値なし」と聞いた時に、以前読んだ(そしてここにも投稿した)サブプライムローン問題の
発生原因について考察した本の話を思い出した。一定数の機関投資家はすでにそれがバブルである事に
気が付いていたが、他社よりも高い運用成績を上げる事に没頭して市場の異常性に目を瞑っていた、
とする説だった。
「1位以外に価値なし」という価値観では、このような事が起こりうる。
顧客は最高の利益を上げる投資会社に資産を託したいのだし、結果にも必然性が感じられる。


価格.comなんかは私はありがたくそのサービスを利用させてもらっているのだけれど、こういったサービスは
ある意味では健全な市場を阻害する要因を孕んでいるのではないかとの心配も持っていたりする。
ここではランキングが10位辺りで遷移している店舗ではまず商品は売れず、1位になった途端に
大量の発注が発生するわけで、店舗側としては多少無理してでもとにかく1位を取る事が重要な
目標となると思う。「多少無理」というのは「少々足が出ても」かもしれないし「従業員の首を切っても」
かもしれない。無理をすればコストを削る事は可能だろうし、そして「無理」は文字通り「無理」なわけである。


サブプライムローンの話に戻れば、市場の異常性に目を瞑るような投資家が「プロ」と
呼ばれて良いのだろうか、という事で。
バブルであれば、いずれ崩壊する。たとえ市場が崩壊しても、自分だけは上手く切り抜けられる目算が
「プロ」にはあるかも知れないのだけれど、市場全体には大損害・大混乱が発生する。
それで良いのだろうかと考えれば、良いわけがない。「自分だけ助かればよい」という考え方が
あるにしても、社会が不安定になれば自分の身分も危うくなるわけで、対岸の火事では済まなく
なるだろう。
「プロ」であれば、市場を守る事まで視野に含めているべきだと思う。後先考えず焼畑農業
続け、森が無くなったらその時考えるようなやり方が「プロ」の手法とは到底思えない。


ではどうするのかという事を考えると、まず根本的に「1位以外に価値なし」という価値観が
市場の崩壊に直結するものであると気付いたとする。(それが正しいとして)プロが起こすべき行動の
一案は、他の価値観を提示して市場の過熱を回避し、安定化を図る事だろう。
単純に対応が非常に丁寧であるとか、ちょっと気の利いたサービス品が届くとか、そんな些細な
配慮でも顧客の心は掴める事がある。
まあ本来は、投資商品の危険性に気が付いている時点で、警告するなり、手を引いてから人為的に
小規模な崩壊を起こさせるなりするのが正しいのかも知れないけれど。
「市場の危険性は予見できない」という主張もあるだろうけど、崩壊する時点では誰もが気付く、
その直前で気付く人もいて、もう少し前から怪しんでいる人もいる筈で、そういう意味では
やはり『バブルじゃないのか?』と思っている人は少なからずいたのだろうと思う。



で、まあ、ここで話は終わりなのだけれど、ダラダラ考えていて「市場バブル」と「価格.com
または「市場バブル」と「焼畑農業」の構造に相似性が見られると思った。(相似していない部分もある)
自分はよく「これとこれは構造が似ているなあ」という考え方をして、これのこれに当たる部分は
こっちではどの部分になるんだろうみたいな事をよく考える。
焼畑農業」で「植樹を並行して行う事」が将来性を鑑みたプロの仕事だとすれば「市場バブル」における
同等の対応はどんな行動に当たるのだろう、みたいな。
そうすると、新たな発見をしたりする事がある。


このエントリ書くのに2時間ぐらい掛かってる…。 前より文章力下がったと思う。多分3ぐらいになってるorz