幸せについて

やっぱりダラダラと。


人は、本人が体験するある事を幸せだと感じる事で、幸せになれる。
不幸だと感じる事で、不幸になる。


不況、福祉の不徹底、現政権への不満等の報道を見ていて、「でも政権が(もっと)腐りきってる国に
比べれば全然ましなんだけどなあ」等と思う。
批判がいけないと言っているのではなく。
不満と感じるから不満なのだと。直すべき所を直すための行動は良いのだけれど、不満を感じて
不満を述べて、それで解決のための行動を起こさないのであれば不満感がただ増幅されるだけだろうと。


徳川幕府の将軍などは、生活面での強い不満は無かっただろうと思う。庶民に比べれば大いに優遇された
ものであっただろうから。それでも今の自分にすれば、全く不十分なものだろうし、彼が現代の
生活を知れば、不満を感じるかもしれない。
北の朝鮮の将軍などは、生活面での不満は特に無さそうだけれど、世界の多くの人間から低レベルな国と
思われているであろう事は、彼の不満感を強く掻き立てるものであるかもしれない。
彼の国の国民はと言えば…私がそこに生まれなかった事を偉大なる意志に感謝する気分にすらなる。


しかし仮に、その北の国に生まれていたのだとしても、他国の裕福な暮らしを知らなければ―周囲の
人間が同じように生き、同じように苦しみ、同じように死にゆくのであれば―とりたてて自分を不幸だと
感じる事は無いのではないかと思う。原始の時代では安全の保証も食料の保証も無かっただろう、
その時代よりもましな部分は多いかもしれない。