批判の回避

管内閣は偶然なのか計画通りなのか、うまいこと批判の矛先をかわしてるよなと思う。


尖閣ビデオの時なんかは、船長の釈放を政府の指示で行ったなどと言えば
それはもう叩きに叩かれたと思うのだが、那覇地検の判断で行った事にして難を逃れた。
どこをどう考えても地検の独断でそれを行うなんて事はあり得ないのだけれど、外交上の
交渉の都合もあって、その辺は深く追求されなかったのだろう。
それでもその対応の是非について、世論は大分ざわついていたのだけれど、
ビデオ内容がリークという形で公開された事で、なぜか話題が収束に向かってしまった。
「みんなビデオの内容を見たかっただけなの?」と私なんかは思うのだが。
あのリークという行為で、何か生み出された価値はあったのだろうか。


小沢氏なんかが政治資金の問題で未だに揉めているが、彼とは一定の距離を置いているため、
小沢氏が叩かれている間は、管総理の批判に話題が移る事はない。


仙石氏は色々言われているが、その声が過熱する前にこの程内閣を抜けてしまった。
影の総理とか言われていたりしたようだけれど、内閣に残るのは当然総理の肩書きを持つ
管総理な訳で。
総理というのは要するに大将で、その人の首が取られれば負けである。外から矢が飛んでくれば、
側近がそれを庇って死ぬのが、組織としてはあるべき姿だろう。そりゃまあ実際に銃弾が
飛んできた時にも代わりに受けて死ねとまでは思わないけれど、でも本来はそうするのが
望ましい、組織論としては。


影の総理ってったって、自民党の時代は影は実際影にいて、表に出てこないのである。
なんかちょっといい人が総理として矢面に立たされて、トカゲの尻尾を切る要領で
総理を辞任させる。自分にはそう見えた。


総理の首は、あまり変わらない方が望ましいだろう。仮に多少望ましくない政権であっても、
大過ない限り数年程度は我慢するべきだと思う。批判の矛先をかわせるという事は、
それだけ世論の制御ができるという事であり、強かだという事だろう。


そんな感じで、管内閣に対してはまあ頑張ってくれという印象を持っている。