選挙のやりかた

よく選挙では「人の掲げる政策方針を見て投票するべし」等と言われるのだけれど、
自分は正直、そこに注視するのはもうほとんど無駄な努力だと思っていて。
なんでかというと。

  1. 自分の希望政策と完全に合致する候補者などいない。結局妥協せざるを得ないが、50歩妥協するのも100歩妥協するのも大して違わない。
  2. 人の腹の底は分からない。候補者は世を欺こうとしているかもしれないし、その人にとっての優先順位も分からない。
  3. その政治家がそうしたいと思っていても、議会や世論を独力で動かす事は難しい(政治家力が無ければ意味がない)。 国や自治体の政策が、(基本的には)1人の意見で決まったりしない。個人に拘っても実効性は薄い。
  4. 選挙前はどうでも、いざ役職に就き問題を目の当たりにしたところで考えが変わるかも(その方が適切と)しれない。
  5. 投票者たる私が良いと思っている政策は、実際には世の中にとって良いものではないかもしれない。(問題に身近に接している政治家でさえ誤りを犯すのだから、素人であれば言わずもがな)

つまりは、「候補者を人として見る」という愚かしい原則に立ち返るのが最も現実的だと思う。
その人が考えてやり方を変えるならそれに委ねる。その人が失敗すれば、その責任の一部を請け負う。
それぐらい全てを任せる思いで選択するのが信任投票というものだと思うし、後から変更ができないシステムなのでそういうスタンスで割り切るしか無いのだ。
というか本当は、候補者云々よりまずシステムを見直して欲しい。自分は現状の選挙にわざわざ足を運ぶのが馬鹿馬鹿しくて仕方無い。


現状の政治システムは、国民の意思が柔軟に反映されるようにできていないと思う。
「国民の意思が柔軟に反映される」のが良い事とは限らないのだけれど、現状は「政治が安定するために」
そうなっているのではなく、単に権力者にとって都合いいようにされているだけだろう。


どこを直せ等と言い始めるとキリが無く、人と意見を合わせようとすれば大変な作業になるけれども、
とりあえず「全国から代表者を選んで一つの部屋で会議しましょう」という考えが大変古臭い。
そういうやり方が不要とは言わないけれど、国会がそういう形になっているのは、
100年前の意志決定システムがそのまま使われているためだろう。


今、別のやり方を考えるなら、例えばBBSの形式で公開討論を行う事もできる。開会期間や時間の束縛もなく、
(是非は別として)一般国民クラスにコメントを許す事もできる。
国会がそのような形であれば、議員は大幅に削減する事もできる(議員以外の有識者を議論に参加させられる)し、
あるいは大幅に増員(負担を減らし兼業議員化)する事もできる。
投票システムがIT化されれば、国民投票を気軽に頻繁に行う事ができる。個人的には国民投票で直接
政策が決定されるのは良くないと思うけれど、決定までせずとも、国民の意思を伺うのは必要な事だと思う。
政治家はそれを見て、それに沿うなり、あるいは却下なりすればいい。


例えば、1人1票ではなく細かいポイントで指定できる投票制が実現できる。
特に適格と思える人、不適格と思える人を重みを付けて選択できる。
あるいは、人単位ではなく「政策」への投票というスタイルもあり得る。
原発は?消費税は?政策に合致する候補者を当選させるという形式でも良いし、票を集めた政策の
実現を当選者が担保するという形式でも良い。
100年前であれば集計に大変な負担が掛かるため現実的では無かっただろうが、今なら問題ない。
複雑なシステムは高齢者等の障害になる可能性があり、注意しなければならないけれど。


例えば、選挙区のような概念は既に不要となっているかもしれない。インフラが発達し、
各地への物理的な移動も、情報収集も非常に容易になった。生の選挙演説を聴かずともWebで中継を
視聴する事ができる。国の代表者を選ぶのに、地域によって選択肢が限定される必要があるだろうか。
票の格差も無くなって一石二鳥。


参議院も昔は貴族院としての存在意義があったのかも知れないが、今はその必要性を疑問視する声もある。
というかもはや不要なのでは。衆議院に一本化して半分ずつ入れ替えぐらいで十分なんじゃ。
二院でやるにしても、もっと明確な区別がなければ意味が見出せない。


党という概念は既にデメリットの方が大きくなっていないか。党利党略の意識が正常な議会の運営を
阻害していないか。党議拘束が議員の柔軟な主張を阻害していないか。昔は党に所属しなければ
得られない情報があったり、あるいは党単位での支持が国民にとって分かり易かったかも知れないが、
今はもっと議員個人に意識が向いている人も多いのではないか。支持する気のない議員が所属している党に
信任票を投じなければならない状況に疑問を感じないだろうか。



彼らは他党の叩きは見苦しいぐらい必死になって主張するけれど、政治システムの見直しや、殊に議員報酬の削減、
議員数の削減に対しては一致団結して話題を回避する。
気持ちはちょっと分かる。このテの話題は自分が身を切るだけで済まず、現職全ての身内議員、
今後の全ての後輩議員の権利に影響する事になる。「議会」という機関自体の弱体化にすら繋がる。
一度手にした権利を手放したがらないのは民衆も同じで、権利の譲渡は非常に重い行為となる。
自分だけヒーローになるような振る舞いも色々と体裁が悪かろうと思う。おいそれとは口に出し辛い。


しかしまあ、そんなだから。
選挙がどうも「いかに国民が選んだと思わせつつ自陣営に勝利をもたらすか」に注力されたもの見えて
疲れる。まああまり気張って行くようなものではないと思う。


でも、私ほどやる気無っしんな姿勢も宜しくないとも思う。