「影」というものがあります。
影があるというのは、果たしてそこに「影」というものがあるということなのだろうか、
という疑問なのです。
少し考えると。
影というのは、つまり、光のないところに生まれるものです。
光の無い状態、つまり、「無いもの」ということです。
光(発光)という実体の相対概念としてのみ存在しうる、虚体としての概念にすぎないのです。
という思考の過程がありまして。
では、影なんてものはないのか、いや違うと、考えるわけです。
光のある状態が実体と認識できるのはなぜかというと、
光の無い状態がデフォルトの状態だからです。
通常、ものは無闇に発光していたりしないのです。
もし仮に、全てのものが淡く発光している、もしくは全反射するような物質の世界にいて、
影というものが滅多に現れない、そんな世界に居たとしたら、果たしてそれでも
影を虚の存在と考えたりするんでしょうか。
この問いは、ちょっと棚上げしておくとして。いや、後で下ろしたりしないんだけども。
虚の存在というのは、割とよくある概念です。
穴とか、真空とか、ゼロとか。
これらは、何もないという表現にはそぐわない、強い特性をもっています。
影にしたって、黒という色を放っている訳です。無色ではなく。
何かがあるという認識も、何かがない状態に比較してのみ存在する、
虚の概念とも言えるのだと思います。
整地された見渡す限り平坦な台地には「何も無く」、そこに誰かが落とし穴を掘れば、
そこには歴然として実体的な「穴」が存在してしまっていると思うのです。
何が言いたいのかというと。
「虚の存在」などというのは、まやかしだと。
実を規定し、それに比較した時に虚が現れるのであって、本質的に虚な存在などというものはない。
そう、私は思うのです。


いや、神がいるとかいないとかそういう話をするための布石なんです。