阪神、調子いいみたいです。
去年の戦績を見ますと、5月終了時は貯金11で、首位。
6月に4連敗と8連敗、貯金は2に激減。後はじり貧、のようです。
今年はどこまでいくんだろう。
なんかこう、活躍を見てると弱いチームではなさそうなんですが、
いったん負け始めると一気に崩れるというか、なんでぽろぽろボールこぼすようになるんかな。
なんか自己暗示に掛かってるんじゃないかとか、あるいは呪いとか。
面白いんで、頑張ってほしいんですが。


はい。
すっかりかったるくなってすっかり忘れてた振りをしてた神さまの話です。
結局まとめるのが億劫になって、若干支離滅裂感もあるやもしれませんが、
まあなんつうか、そういう考え方もあるんだねと、何となく思ってもらえれば。


〓1
創造神、という考え方があります。
万物の創造者にして、究極の存在。彼が世界を創ったのだというものです。
この説が支持できない理由として。
創造神は誰が創ったん?自分も創ったん?おかしいやん?
……という主張をする人がいると思います。絶対います。とりあえずここに一人います。
その言い分はまあ、もっともです。うんあなた頭がいいですねてなもんです。
そんなあなたに質問だ!
ではあなたは、今自分がここにいる事を一体どのように肯定しているのですか?
これがどういう質問なのかというと。
結果には原因が必要なわけです。
その原因にも、原因が必要なわけです。
原因の原因を求めていくと、世界は際限のない原因から続いていなければならないのです。
そう、思っているのですか?と。
「それには答えらないが、それは別に神がいる事の肯定にはならないだろう」
と、言われるかもしれません。が、そこはそれ。
そもそも「神」をどういうものとして捉えるかです。


〓2
世界は無限の原因から続いている。
私の直感的には、この解釈はあまり素直でないように思うのです。
考え方としても、世界の創始を仮定する方が、まず自分が解決しなければならない
問題までの境界線が明確になると思うのです。
無限の原因から生まれた世界だとしても、人智の限界は必ずあります。
ココまではわかる、その先は不明という境界があるわけで、
ただ「無限だ」で片付けるにしろ、それは深く掘り進むことを諦めただけのことで、
全てを知ったということではないわけです。
人智の限界を世界の創始と仮定し、その原因は創始者とします。
創始者の原因はありません。そこが原点であり、
それ以前を人間が追いかけることは不可能だったとします。
そしてその創始者を、神と呼びましょう。
ゆえに神は人知を超越し、究極的な存在でなければならないわけです。


〓3
とりあえず、この場合の神は、一種の無生物と表現した方が通りがいいでしょう。
現代の歪められたり、人の都合のいいように脚色された(かもしれない)神ではなく、
もっと原初的で純粋な神という概念を、考えてみたいのです。
なぜ古代の人々が、神という者の存在を認めたのか。


〓4
問いは何でもいいんですが、一例として。
「なぜ、水は高いところから低いところへ流れるのか」
この問いを、昔の人は答えられただろうか。
また、今の人は答えられるだろうか。
完全な回答は多分、できないと思います。
原因の原因について、知識の限界があるからです。
ですが、
「水が高いところから低いところに流れるのは、それを行っている何者かがいるからだ」
こういう考え方もできると思います。
その「何者か」は、実は重力と呼ばれるものかもしれません。
上の回答者は「何者か」を何らかの神と思っていたかもしれません。
それでも、結局違うのはネーミングだけで、それなりにまともな回答になっています。
科学的な姿勢としては、普遍的な法則を元にして体系的に因果関係を作っていくのでしょう。
その普遍的な法則が、何かの意志でそうなっているなどとは、普通思ったりしません。
でも実際は、それが何かの意志でも構わないわけです。普遍的でありさえすれば。
要は、考え方の問題です。
何かの意志ではなく、全ての根源は「そういう性質のものなのだ」で納得する。
その裏返しで
説明不可能な全ての根源は「神が行っている」とし、そこに意志を見る。
これは、同じことです。
普遍的な法則を神に置き換えて考えるならば、
「神の意志は例外なく全ての事物に作用する」ということから、神は全知といえます。
また全能であるのも、法則に抗える力など存在しないとすれば、納得の行くところです。