後で後悔する

「いわゆる重複表現」であるのは、字面を見ればすぐにわかるのですが。
どうもこの慣用表現は、間違いとも言い切れない感じが私にはあります。


後で悔やむことを後悔というのは確かなのですが、どうもこの「後悔」という語は
それ一語が一つの動作の塊のようになっていて、「悔やみ」とほぼ同義で、かつ微妙に含みの異なる
言葉として定着してしまっている気がするのですね。
「悔やむ」と「後悔する」の意味の違いは、後者の方がより既に起きてしまった事に
注目して、その過去の出来事と今の自分との結び付きが強く感じる、といったところでしょうか…。
「後悔する」と書いてあるところを「後で悔やむ」に単純置換すると、言葉の意味が
変わってくるような気がするわけです。


そもそも、「悔やむ」という動作は未来の出来事に対して行う動作ではないので
あえて説明しなくても、通常は「後で」するに決まっている動作なのですね。そういう意味では、
「後で悔やむ」という表現だって重複表現みたいなもんじゃないかと思うわけです。
(実際、「後で後悔する」と同様の引っ掛かりを「後で悔やむ」という表現にも感じる気がします)


「後で」と同じ意味の言葉はあまり思いつかないのですが「そのうち」はかなり近い表現だと思います。
「そのうち後悔するよ」という表現に対して、日本語的に違和感を感じないのであれば、
「後で後悔するよ」も、一応OKをだしていい表現なんじゃないかとか、思ったりします。