向上心がない

という状態は、もう少し正確に言うと自分を向上させる手段に行き詰まってしまっている状態であったりもする。


向上心のある人というのは、まあ、「上」を向くことに興味を持っているというだけの人ということでもある。
「上」なるものの価値観は人によって様々であったりもするので、人が他人を評して「向上心がない」とするのは
しばしば的を射ていないこともある。


「向上心がない」=「現状に満足」だとすると、向上心のある人は現状に不満を抱えている人ということでもある。
常に障害を攻略することで満足感を得るというサイクルで、不満を感じる隙を与えないというスタイルは、
そのサイクルが成立している内は良いのだけれど、越えられない壁にぶつかると、不満が解消されない事態に陥り、
そこで精神の安定を欠いてしまう場合もある。
あるいは、「自分は(自分が価値を決めた)「上」の状態にあるのだから、それより下の人間にも偉い」のように
循環論理に支えられた偏った自信を持ってしまったりすると、(他人から見て)少々おかしな人間になってしまったりする。
「おかしな」どころか「馬鹿な」に見えてしまうことすらある。どんなに社会的な後ろ楯があったとしても。


向上は、下を捨てて上を取るという選択でもあり、下を顧みない、下は無価値である、とする発想に通じる。
間違った考えに突き進まないようにするためには、下の価値を見つめ直し、問題を切り分け、
向上もある意味では単なる選択に過ぎないことを自覚し、時には向上を自制する判断も必要となる。


決して、向上心が悪いものだと言っている訳ではないのだけれど、
特に歳が若い内は向上は絶対の価値だと繰り返し教えられることが多いので、
若者の中にはその言葉を強く受け止めすぎている人もいると思ったりしたので。
(とはいっても、そこで迷いなく突き進んでしまうからこそ、大きな成果を得られる場合もあるのだけれど)


その人の思う「向上」が、常にその人を幸福に導くとは限らない。
心を見つめれば、向上心は欲望とよく似た形をしていることに気付くと思う。