真面目な人が苦労する

「真面目な人が損をする」「真面目な人がバカを見る」というよな紋切り型の表現は、あまり好きではない。
こういった表現はもう一種のボキャブラリーになっていて、深く考えずにペロっと言ってしまう人がいて、
それらの人によって安易に発言が量産された結果、あまみ重みの感じられない表現になってしまった。


という前口上はともかく。
それでもやはり、真に真面目な人というのは、自ら苦労を背負ってしまうものらしい。
逆に苦労を背負いたがらない私などは、そういう意味では不真面目な人間と言えるのだろうと思う。


そんなことを思ったのは、テレビで産婦人科医師や救急病院の特集などを見ていた時の事で。
医者というのはどうも、患者をあまり考えずラクに儲けようと思えば、そうすることは簡単にできるものらしい。
患者各人と丁寧に向き合ったり、苦しい現場を助けようとすればするほど、苛酷な労働となっていくようだ。


彼らは進んで苦労している。言ってみれば好きで苦労しているのだという見方もできるだろう。
彼らが苦労するのは彼らの勝手。という思いも、私にはある。
…というか、彼らは「こんな苦労をしているのだから何らかの見返りがあるべきだ」等という考えは持っていないと思うのだ。


とは言うものの、正直、客観的な見方として、不公平だろう。苛酷かつ貴重な労働力を提供している人間に、
相応の見返りが払われないのは、社会として問題がある。


そんな風な、過度に負担が掛かっている部分を自動的に発見して修復するような仕組みがあればいいのに、とか思う。
「あればいいのに」と思うだけで、具体的にどうすればいいとか、私がどうしようといったアイデアは全くない。
ただ現状では、有志の誰かが発見し、政治家にタレ込むなり支援団体を作り上げるなりと言った、
非常に手間の掛かる方法しか無さそうなので、そこんとこはもうちっと合理化できないもんかね、とか、ちょっと思うのだ。