悲しみ

四川の地震を見て、以前から感じていたことをまた思い出したのだけれど。
子供の犠牲者は、哀れだと感じる。まあ、無関係の第三者としても悲しいことかもしれない。
でもそれよりも、子供を失って悲しんでいる親というものに、より強い心の痛みを感じるのである。
それこそ「胸を締め付けられるような思い」という程に。
一般にそうなのか、私だけがそう感じるのかはよくわからない。


悲しいと言えば、火垂るの墓である。
子供の頃コレを見て、私はあまりに悲しくてとても二度は観られず、トラウマが癒えるまで10年近くの歳月を
要したという、恐るべき作品だった。


トラウマ戦争アニメといえば「はだしのゲン」である。
子供の頃観て、目玉がブラブラしている人の描写には強い印象を残したようだ。いやこれはトラウマって程でもないか。


話を火垂るの墓に戻すと、とにかく精神的に厳しいのは終盤の節子さんだろう。
おはじきを口に含むだのスイカを食いたいだののシーンは号泣を通り越して悶絶である。「ぐわぁぁやめてくれぇぇ」的な。


と、いうことを考えて、思うのは。
生きている人間と死んでいる人間とは、徹底的に違うものなのだねと。
生きて動いている姿を見ていなければ、相手に強い思いを抱くことは無いもんだなと。


瓦礫から伸びる一本の腕の写真は、朝日新聞だったか。
あるいはあれは逆に、何かを求めているような、生者のような姿であったから、見る人に強う印象を与えるのかもしれないなと。