愛とか金とか

人を愛する者に、人が集まるのと同様、
金を愛する者に、金が集まるのだ、とか思った。


1円を笑う者は1円に泣く、等というけれど、
金が足りないと感じている人間は、ある意味金に対する愛が足りないのではないか。


最近、愛とか情熱とか魂とか勇気とかが、とても重要な要素なのではないかと思ったりしている。
そういったものをないがしろにする事が「大人になる」事だというような認識が、世間の一定の割合を
占めているようだけれど、それはやっぱり間違ってるよね、と思う。
それこそ、内面が不完全な人間が「大人」を誤解してそのように思っているのではないか、と。


いつだって、世の中を変えるような、歴史に名を残すような、そんな人間は、情熱と信念に満ち溢れている。
大人の自重は、まず情熱ありきの譲歩だろう。自重しか知らない人間が、何かを為す事はない。


誰もが偉人になれるわけではないのだから、リスクを考えて、感情的な行動は起こさない、といった考え方自体は
悪くはないけれど、もし、自分の中にある情熱の炎を完全に消してしまったりしたら、もう、
何を目的として今日を生きていくのかも分からなくなってしまうだろう。
情熱という言い方が恥ずかしいなら、根源的欲求とか、自己実現とかいう言い方もある。


若い人が人生の意味に悩んだり、自分探しに奔走したりするのは、つまり、自分が何者であるか、
何をしたいのか、何ができるのかを把握しきれていないという事なのだろう。それらに悩む事が、
自分の真価を正確に理解するための道程であったりするのだろう。その時代に、自分に対する疑問点を
あらかた潰しておく事は、後の人生の道標となり、迷いのない人生の助けとなる。


悩んでいる時は、時期を過ぎてその問いが解決された自分というものを想像できないかもしれないけれど、
思考力と時間があれば、何だかんだで定まってくる、絞り込まれてくる、のだろう。
考え抜く限り、何らかの結論じみたものは必ず得られるのだと思う。その結論は「この問題は解決不可能だ」という
確信であったりもするかもしれないけれど、それでもそれを見出したかそうでないかにより、全く意識が違ってくる。


つか金がどうこう言ってた冒頭からどこに話題を進めようとしているんだ私は。