フリーソフトとか

オープンを信条とする組織が、オープンでない人に対してクローズドであること。
フリーソフトウェア営利企業にとってちっともフリーでないこと。
そんなことを、ちょっと考える。


金を払えば細かいことを言われずに使える、金でカタがつくというのはとても便利なことで、
相手が金の理屈に応じない場合、問題は複雑になり、利便性は失われていく。


対価を得ないことを偉いことのように言う人がいるけれど、なんというか、一言で偉いとは言い切れない部分はある。
今の社会のシステムは、金を持たずとも生きていけるようにはなっていない。だから、あるものの提供で
仮に対価を得ていないとしても、必ず何か別の仕事をして収入を得ているはずである。つまり、趣味(あるいは無償奉仕)と実益を
区別して管理しているだけのことで、いかなる状況においても対価を得ていないということはありえない(はずである)。
要するにそれは、あるもので対価を得ることは悪いことでも何でもないということで、
逆に言えばあるもので対価を得ないことは良いことでも何でもない、となる。


もし、金の授受をサイクルに含めることで有用なものの普及がスムーズに進むのだとすれば、
それをしないことよりもスマートと言えるだろう。
ソフトウェアで金銭を得ることが不当だと考えている人は、逆にむしろ、金の価値を高く見過ぎているような、
ケチすぎるような、そんな印象を少し感じる。金は右から左に流すもの、収入は別の有益なものに受け渡すもの、
金は天下の回りもの、金はあえて言うほどの価値のないもの、そういった考えからすると、
単なる感謝の表現としての金銭の受け渡しに、それほど目くじらを立てなければいけないものなの?とか考える。



(このエントリの思考は結構荒くて、展開をもう少し推敲するべきなのだけど書かないと忘れるのでとりあえず書いた)