まあまあやっている

↑のエントリを書いている時に話題が散らかった部分を切り出した。


不満があるのに、国政への直接的な行動を起こさない人々がなぜ行動を起こさないのか、ごく単純に
言ってしまえば、色々面倒だからだろう。


基礎的な勉強、政治経済の勉強、政治的にホットな諸問題への地域・国レベルの勉強、
選挙運動資金の調達ないしはキャリアの構築、票集め、当選、そこがやっとスタートライン。
与党でも一議員の立場では運営への直接的な関与はできないから、色々やりたければ
さらに上り詰める必要があり、上れば上ったでやる事は各者の主張の調停。
自分が最強の政策理論を持っていたとして、実行したけりゃまず説明。側近に説明。自党に説明。
影の実力者・政財界に説明。野党に説明。国民に説明。
問題は苦手分野からもやってくる。というか苦手分野の方が多い。一人で対応できる訳もなく
適任者を選んで担当させなければならないが、失敗は許されない。というかどうやっても何かしら批判される。
それはもう、政治ってのは損得配分を選定する作業だから。何かやれば誰かは文句を言う。


そういった面倒を負担せず、主張だけ取り入れてくれという考えには図々しさを感じるし、
まあ率直に、上記を完全にとは言わないまでもある程度踏むべき手順があるだろうと思う。


私は、国政に不満を多少思いながらも。「まあまあやっている」と常々思っている。
将来を憂いはするけれど、年金の保証が無いと聞けば『資産を蓄えなければならないだろうか』と思うし、
国防に問題があると聞けば『海外への移住を検討しなければならないだろうか』と思う。
手が遅れれば巻き込まれて命を落とすかも知れない。でもそれは、先読みが足りなかった自分が悪い。
『自分が悪い』と考えるのは、実際に損害を被るのが自分だからだ。責任を他人に求めても実際に苦しむのは自分だ。
そういう意味でも、状態改善を伴わない不満感は意味がない。ただ不満を認識するだけの行為でしかない。


最近の世論には、国が何かをしてくれる事を期待し過ぎなのではと思うものがある。
自分は期待しなさ過ぎなのかもしれないが、何かを期待して裏切られれば、不安になるだろう。
要求して、駄賃は払い、期待はしない。失策を詰るのはいいけど、そういうポーズだけで、依存はしない。
そういうドライな姿勢の方が、生きていく上でラクなのではないだろうか。


そもそも私は、身の安全がある程度確保されている、たったそれだけの事で感謝している。
蛇口から水やお湯が出る事、電気が来ていること、交通網が整っていて何時でも遠くへ出かけられること。
自力で対応できない病気、怪我を治療してもらえること。それらの高度なサービスが、自分程度のしょぼい
能力の労働で得られる対価の一部で良しとしてもらっている。ありがたい。
自治体等の存在がなければ、それらを自前で工面しなければならないのだから。
ただ生きるだけであればラクなものだ。日本はいい国だ。