就職難

昔のニュース。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081219-441795.html
麻生元首相がハローワークを訪ねて曰く

「何かありませんかと言うんじゃ仕事は見つからない。目的意識がないと雇う方もその気にならない。何をやりたいか決めないと就職は難しい」

この話を思い出して、少し考え込んでしまったという話。
を、以下にグダグダと書き綴ってみる。


このニュースに対しての一般の反応は概ね「目的意識云々以前に仕事がねえんだよ」といったもので
あったと思う。これはそこそこ私も同感であったりした。的外れと言いたくなるのは一般大衆の
素直な反応だと思う。


仮に麻生さんが職を失ったらどうなるだろう、と思う。仮に政治家としての経歴も削除する。
一応外交を得意としていた筈だから、英語は話せるだろう。普通のコミュニケーションも
得意だろう。学歴もそれなり。仮に希望の職に就けなかったとしても、就職に困るほどの
事は無いのではないかと思う。
そうであればこそ、ハローワークに通う求職者の気持ちは理解できないかもしれない。が、
彼の能力は一応本人の努力で身につけたものではある。彼に言わせれば、なぜ能力を
身につけないのか、努力しないのか、という事になるだろう。
能力の無い者が職にあぶれるのは一応自然の摂理ではある。


一方求職者側の気持ちで言えば「今そんな事言われても」だろう。
去年まではこれでやってこられたのに、仕事の方から去られてしまった。
この切羽詰まった状況を招いたのは政治のせいじゃないか、と。
己の務めを十分に果たしていないあなたがなぜ報酬を受け取っているのか、と。


職を失い、生活に困る。これは、本人の責任に依る部分が大きい。
責任はそれはそれとして、そういった立場の人間へのサポートは常に行われるべきだと
思うけれど、それでも責任はやっぱりあって、サポートもタダでは済まないのだから、
社会に負の価値を与えている立場として、多少の負い目を感じてもらう必要はある。


ふっと、この求職者達は労働の即戦力となる能力を身につけるに至っていないのかという
疑問に立ち返る。努力をしなかったのだとすれば、なぜ努力をしなかったのか。


「やりたいこと」が無かったのではないか。
生涯の仕事になり得る意味での「やりたいこと」が無かったのではないか。


「やりたいこと」があり、かつその道で人より秀でる能力、情熱があれば、
仕事は見つかるはず。すぐに見つからなかったとしても、闇雲に全ての職種を
当たるよりは遙かに採用率は上がるだろうと思う。
ここに、麻生さんの言葉の正しさがある。


そして、ここで再び求職者の気持ちに思いを馳せてみると「やりたい事とか特にない」
人は多いだろう。「どうすれば見つかるのか」と。
私が聞かれれば「さあ…?」となる。「とりあえず何でも色々やってみれば」みたいな。
酷い堂々巡りだ。
最初の一歩として「仕事」が要るのである。この点で麻生さんの言葉はまるで的外れだ。


民間に人雇わせて民間に仕事発注してとか回りくどい事しないで、求職者に仕事をやる
独法とか作るんでも良かったんじゃないかと思う。低めの給与で。民間企業に
就職できるまでの繋ぎとして。素人考えだから有効かどうかは分からないけど、
ハローワークより有益である可能性はあると思う。
何をやらせるのかと言えば、公園の掃除レベルのものでも良いのではと。
低賃金、職能獲得支援、労働条件管理等を考慮した派遣会社もありかも、とか