鳩山さん

私は、あまり鳩山(由)さんを悪く言う気が起きない。
正直、私はこの人をまともに政治家としては見ていなかった。あまりこの人に多くを求める気持ちが
無かったから、政治的な失策があっても、まあそんなところかと思っていた。
どちらかと言えば、リーダーシップのない人間にリーダーを任せた党の判断に非を求める気持ちが強い。


鳩山さんには、指導者としての能力が分かり易く欠けていたと思う。指導者がするべき事は、

  • 希望の将来図をイメージし
  • そこに至るまでの行程を組み立て
  • 人の心を掴んで導く

という事だと思う。おそらく彼に漠然とした未来図のイメージはあったのではないかと思うのだけれど、
2つ目3つ目の項目を実行する能力が欠けていたように見えた。少なくとも今の時点で首相の器では
無かったと思う。


多分鳩山さんは財力と血筋があったから、彼の能力以上に重用され、能力的に格上の人間と
肩を並べて行動する事が許されてきたのだと思う。(正直兄弟そろってそんなイメージがある。)
本人はその事に気付いていたか気付いていなかったかは知らないけれど、彼の思いで言えば
彼なりに頑張ってきたつもりなのだろう。
彼に財力がこれ程無ければ、平議員か、大臣もどきの地位を大過なく務め、少しづつ成長するに従い
適切な役職を与えられるようになっていたかもしれない。
そんな事を思うと、まさに過ぎたるは及ばざるがごとしというか、金があることの不利益を
思わずにいられなかったりする。


私は、鳩山さんはもっと地獄を見るべきだと思っていた。もしこれからも政治家を続けるつもりだったなら。
散々多くのものを犠牲にして、小さな成果を上げる、そんな結果でもまあ悪くない。悪いけど。
結局、しがみついてでも我儘と言われても叶えたいような思想は無かったのだろう。
最低でも県外」という思想に、強い動機付け(縛り)がないから、軸がぶれる。
沖縄県のみに負担が掛かるのが許せなかったのであれば、せめて何か別の見返りを与えるか、
あるいは他県に別の形の負担を与えるか。無駄にでも。
一本の筋を通さないために、沖縄県民は苛立つ。筋が彼に見えないのは、なぜ「最低でも県外」に
したいのかの理由が曖昧だから。理由が曖昧なのに「最低でも県外」と高らかに声を上げてしまう、
それが指導者として全くなっていない所、だろう。


国としては辞めてもらって良かったと言えるかもしれないけれど、首相としてあまりに何も生み出さなかった事に
哀しさを感じていたりする。
何か私は、この人が今の日本のイメージに妙に合致している気がしてならない。
先人の成果と財産で一目置かれているだけの、何もできない、何も決められない存在、というような。


…そうか、何だか他人事と思えなくて、悪く言う気が萎えるんだ。