職業に貴賎無し?

「職業に貴賎無し」と言う人がいるが、本当だろうか。
というか、私は割と「職業に貴賎無し」だと思う方だと思うけれど、それは本心だろうか。

  • いわゆる社畜
  • (天下りなどによる)分不相応な収入のある無駄な仕事
  • 技能性のない低賃金の仕事
  • 資源ゴミを集積所からくすねる困っちんぐな業者
  • 違法廃棄物処理業者
  • 公害垂れ流し企業
  • 風俗業
  • 政治屋
  • 何様のつもりか知らないが患者を見下したように無礼に振る舞う皮膚科の医者。つぶれてもいいのよ?
  • 悪いヤクザ
  • いいヤクザ
  • ルパン三世
  • 堀江貴文
  • 死の商人―軍需企業
  • 人身売買
  • シーシェパード


以上、「賎しい」かもしれない候補リスト。
で、これらは賎しいだろうかと考えて、腕を組み、首を捻る。


………。
主観の問題かな。


「賎しい」かどうかは結局、賎しいと思う人がいれば賎しいのだと言うほかない気がする。
じゃあ私自身の感覚としてはどうなのかというと。
まず「賎しい」かどうかは別として、人が迷惑を被るタイプの仕事は宜しくないというのが一つ。
で、その仕事が「賎しい」かどうかは、それを担当する人間がその仕事に誇りを持って
取り組んでいるかどうか、が肝になるのではないかと思う。
例えば「社蓄」等は、当人が不本意な思いを抱えながら、その地位に甘んじて改善する事もなく、
下らない、無意味だと思いながらその仕事を続けているのであれば、「賎しい」寄りの仕事に
含まれるだろうと思う。言ったようにこれは私の肌感覚としてのものだけれど。


例えば「人身売買」など。まあ直感的には外道であろうと思う。けれども。
それぐらいしか飯の種が無いような地域であるとする。放っておけば得体の知れない方面へ
売られてしまう、または野垂れ死んでしまう、そうなる前に、できる限り質の良い客に
回すことで、僅かでも人が幸せになる方向を目指すという立場はあり得る。


あるいはより冷酷に、上物の人間を仕入れ、立派に仕立て上げ、立派な商品として販売するタイプ。
酷いものではあるけれど、そういった何らかの向上心が含まれる仕事を一概に「賎しい」と
呼ぶのは少々違和感が残る。道義的な許容は厳しいけれど、その美学には理解が及ぶ。


例えば身内に病人がいる。難病でBJという医者に頼んだら法外な金額を請求された。
手術代の捻出の為「賎しい」仕事に手を染めたとする。その仕事は賎しいと言えば賎しいのだろうが、
その志を知ってなおそれを賎しいと言い切る事ができるかどうか。
BJにしても、それだけの報酬を求めるのはそれなりの理由があるのかもしれない。ないのかもしれない。


では逆に考えてみてはどうか。「貴い」仕事があるのだとしたら。
戦場カメラマン等はどうか。命を賭けて真実を伝える。貴い仕事だねえと思わず相槌を打ってしまう。
貴い仕事が存在するのであれば、相対的に貴くない仕事が存在することになるのではないだろうか。
であれば私は「職業に貴賎無し」等という偽善じみた認識は改めるべきだろうか。と、自問してみる。


考えたが、それはちょっと違う。そういう事じゃないのだ。
本気で物事を考える時に、それに対して安易に「賎しい」「貴い」とかあまり世俗的な見方をしたくないのだ。
軽い気持ちでそのような感想を抱くことはある。「マスコミとか政治家とか腐ってる」みたいな。
その軽い、薄っぺらい判断は、本気の思考の際には採用されない。正しさが全く足りない事が判っているのだ。


「職業に貴賎無し」は、先入観を持たずニュートラルに判断すべしという戒めとして捉えるべきかもしれない。
人が無残に死ぬのが楽しくて死体写真をzipでうpするような、腐った戦場カメラマンもいるかもしれない。
そしてもっと真面目にその仕事を見つめたら、その美しさ、その真摯な姿勢に気付く事もあるかもしれない。


「職業に貴賎無し」を主張する際は「職業だけじゃ貴賎の判断は付かないよ」という論法を軸にすることにしようか。