リーダーについて

リーダーは部下に比べて、高い報酬を受ける。
この報酬は、部下を守り導く責務を裏腹に含んだものであると思う。
全てのお守りをするという訳でもないけれど、計画が失敗した場合に
責任を取るのはリーダーであるべきだし、部下は責任から自由である事、
保護されている事を代償に、安い報酬を受け入れている。
その関係が保持できなければ、組織が崩壊してしまう。その関係を
リーダーが取り持っていると認めているからこそ、社会はそのリーダーが
高い報酬を受け取る事を認めているのだと思う。


私にとってのリーダー像はそんな感じのものなのだけれど、
このあるべき関係が崩壊していると見られる社会の現象がある。


ひとつは解雇型のリストラ。
実力主義、再構成の名の下に、従業員を解雇する。
ある程度やむを得ないというか、そういう経営方針はあるにはあるのだろうけれど、
業績の不振は、どちらかと言えば管理者側の責任ではないだろうか。
管理者に責任を認めずに、安易に首切りに走るのは筋が通っていないのではないか。
首を切られた人間は、別の仕事に就かねばならない。この時、雇用の席が一つ奪われてしまう。
雇用にあぶれる人間が1人生まれ、それが積み重なって社会の不安定を生む。
大きな(多額の報酬を得る)会社には、より多くの雇用を用意する社会的責務の
自覚が必要だと思うのだけれど、どうだろうか。


町工場に仕事がないという話をよく耳にする。
取引先に仕事がないために、発注が打ち切られる。
不況ゆえやむなしという事情はあるのだろうけど、その状況が続けば町工場は潰れる。
町工場が潰れてしまったあと、景気の風向きが変わって仕事が生まれた場合、
もの作りをどこに頼む事になるのだろうか。


何が言いたいのかというと、上位の組織はリーダーなのだから、下位の組織を
安易に切り捨てるような発想は不適切なのではないかという事で。
発注先の経営が苦しい時は、それを助けようという意識が必要なのではないか。
全てお守りをするわけでも無いけれど、一応死なないように気を配る程度の事は。
町工場としても、いざとなれば切られるのだと思えば、無理にその取引先に
義理立てする必要もないという意識になる。これは深刻な問題を招く種に
なり得るのではないだろうか。


自組織の利益を優先する。この考え方は必要だと思うけれど、突き詰めればそれは、
最終的に自組織の利益につながる事は何かという事になる。
目先の利益に眩んで部下を切り捨てるような発想は、長期的な重い損失を
招く事になる場合もあるのではないか。
リーダーとしてあるまじき行為なのではないか、などということを思った。