自粛とは

辞書によると「自分で自分の行いをつつしむこと。」。
「粛」は、つつしむこと。またはきびしくする、正しくする事(粛正、等)。
「つつしむ」は、用心する・かしこまる・物忌みする・控えめにする。


身内から死者が出た場合、一定期間は喪に服し、また周囲の人間は遺族を思い遣り
派手な行いをある程度慎むのが習わしとなっている。遺族の思いを害さぬ為の
配慮であろう。


不幸の規模が大きければ、器はそのまま大きくなる。社葬、国葬等と呼ばれるものになる。
東日本大震災でも、それに似た規模の不幸が起きたと言える。
震災が天皇崩御のような不幸と異なるのは、単に人が斃れるだけでなく、社会システムや
物品に大打撃があり、犠牲者の死を悼んでいる余裕すら無い事にある。
生存者は、延命・復興の努力を直ちに・余儀なく求められる。幸いにも被災を免れた
人々は、そのサポートを行う事が望ましい。
周囲の人間は、当事者が悲しんでいるのであればそのサポートを、
戦っているのであればそのサポートを行うのが、振る舞いとして妥当であると思われる。


故に、世論の認識は概ね「反自粛が良し」とされている。
「自粛すべき」等と発言すると叩かれる程に。


さて。
そういう理屈はそれでよいとは思う。何でも自粛すれば良いというものじゃない。
特に日本の経済は現在危うい状況にあり、この震災が単なる東日本の問題で
済まない可能性がある。今のタイミングでの景気の停滞はやばい。


しかしまあなんというか、日本人の性質なのか人間の性質なのか分からないが、
なんかこう「反自粛」のひとつの方針が決まると、大多数の人間がそれに
同調しすぎる傾向はどうなんだろうか。
自粛・追悼がいけないわけじゃない。というか、するのが自然なんだろう多くの人にとっては。
「他人はどうか知らんが、俺は自粛する」という主張はあってもいい。
被災者がそれを行えないなら、尚更それを代わりに執り行おうという判断があっても
別に誤りではないと思う。
現状の空気は、そういった自粛も「批判」の的に上がりかねない。空気読めよコラ、みたいな。
どの個人・組織も馬鹿みたいに右倣えで大自粛が始まる予兆があったため、
牽制として自粛自重のメッセージをメディアに流したらこうなった、のような状況になっている。


何が言いたいのか私は。
「反自粛が正義」のような認識はちょっと改めて貰いたいというところだろうか。
そこはもっと微妙な問題で、各自が適切に判断し、その判断を尊重するべきところではないか。
柔軟な気持ちを持てている人にアレコレ言うつもりはないのだ。
身近な情報に単純に影響され、安易な思想を構成し、勢いで叩きまで始める人が困るというか、
うざい。のだ。そんなんじゃ自分の考えが無いと言われても仕方無い。


花見の自粛?結構だとおもう。しかし押しつけは良くない。
権威(首長の類に限らない。芸能人やブログ主も含む)が何か言ったからと言って、
正しい判断や自己の判断を見失うのが良くない。